銅栄山 光明寺(福山市新市町)
銅栄山 光明寺(福山市新市町)

建築

本堂・鐘楼門の改修工事

光明寺本堂・鐘楼門にみる江戸初期真宗寺院建築の特徴

福山市文化財協会理事 山名洋通

本堂と鐘楼門修復工事に際し、江戸期の造作と見られる貴重な工事跡が発見されましたので、ご紹介いたします。
本堂入母屋造いりもやづくり・五間四面

本堂の屋根は「入母屋造り」で、玄関の位置によって「平入り」と「妻入り」の名称がつきます。
五間とは柱と柱の間が五ヵ所あることを示し、四面は建物平面の形を示します。

虹梁やや反りを持たせた化粧梁

光明寺の『縁起』によれば、1696年(元禄9年)創建された本堂の虹梁こうりょう。いつの時代の大屋根改修時かは現在不明ですが、屋根裏にそのままの形で残されていたものがこの度の修復で発見されました。

この虹梁は建物の妻側にあり「妻虹梁」と呼びます。虹梁の「蔦」模様は彫りが浅く、全体が明快であり、虹梁に直接彫りこまれる模様は初期の時代状況を明確に伝えています。

虹梁の「ほぞ」の部分に「元禄十年」と墨書きされており、制作年代を疑う余地はありません。蔦模様と年号の墨書き、両者の揃いは、以後の虹梁の制作年代の基準・規範となるものであり貴重さはこの上ありません。

肘木柱とはりけたの接合部に設置し梁・桁の強度を高める横木

ここに使用された肘木ひじきは舟形に加工されており、和洋式の舟肘木ふなひじきと呼ばれているものです。

来迎柱須弥壇しゅみだんの背後にある壁の左右両端に建つ柱

円柱で設置された上部に「透かし彫り」の「華木鼻はなきばな」がみられます。
木鼻は「ぬき」の先端部分の装飾で、江戸時代中期以降、雲形・象頭形などがみられます。
光明寺の来迎柱の華木鼻は、それ以前のものであり、材質・彫りの形状ともに秀逸です。

角取柱角材の四角を削った柱

重量物を担う用材でありながら角の部分が削られ、柔らかな空間を醸成する機能も持つ柱です。柱の形状から「角取柱すみとりはしら」、設置場所から「矢来柱やらいばしら」の名称がつけられています。
外陣中央部に二面相対の形(計四本)に設置され、「矢来やらいの間」を構成しています。この柱の「角」の削り幅は四分(約1.2㎝)あり、江戸時代中期以前の建築を窺わせます。
使用されたけやき材の角取柱は歪みや反りがなく、永年野ざらし乾燥の後に作業にかかったものと見られます。

鐘楼門慶長13年(1609年)に建てられた貴重な鐘楼門しょうろうもん

「貫」には、拳木鼻こぶしきばなが設置されて、欄間らんま部分には鶴仙・亀仙・鯉仙の三仙人の浮き彫りが見られます。
鶴・亀・鯉とも仙境にあり、参詣者の憧憬しょうけいを具現化するものの一つとして設置されました。
類例も稀であり、後世に伝えたい一品です。

本堂改修工事の記録

鐘楼門改修工事の記録

光明寺の石垣

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